松井秀喜さんが現役を退いたのは2012年のMLBシーズン終了後、日本(ジャイアンツ)で10年、MLB(NYヤンキース7年+他3年)でも10年の選手生活に幕を閉じました。
その後は古巣ジャイアンツのキャンプ臨時コーチやヤンキース傘下のマイナーコーチを務め、現在はヤンキースGM特別アドバイザーとして特にマイナー選手の指導を行っています。
そんな松井さんですが4年連続リーグ優勝から遠ざかり、ここ数年は低迷に喘ぐ読売巨人軍の監督候補として毎年その名前が出ることもしばしば。
なぜ彼は国民のほとんどが望むであろう“松井”巨人誕生を拒み続けるのか?監督要請に応じない理由(わけ)は何なのか?について掘り下げてみましょう。
そこには元メジャーリーガー:松井秀喜なりの考えがあったのです!
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日本球界に蔓延る慣習

人材流失をポジティブにとらえられるか!?
元々は第二次長嶋政権(9年:93~01)から引き継いだ第二次原政権(10年:06~15)の後釜として考えていた!それがおそらく巨人側の青写真だったのでしょう。
しかし2015年原監督退任後のオファー(おそらくあったのではないか!?)も適わず、球団側は現役続行を宣言した高橋由伸選手(当時)を説得し渋々監督に据えたという経緯があります。
三顧の礼が災い!?

監督交代は4年前に戻った!?
おそらく国民の誰もが強いジャイアンツ、球界の盟主であって欲しい!と思うところではないでしょうか。
しかし2018年現在4年連続でV逸、FAで他チームの主力を張った選手をかっさらうお得意の手法がことごとく失敗に終わり、その現実をみる若手がやる気を失うという悪循環。
チーム弱体化は観客動員数や視聴率にも影響し、地上波放送はゼロその後を受け継いだCS有料のG+(ジータス)が放送をしていますが、どうにも人気下降に歯止めがかかりません。
理由を挙げればきりがないのですが、阿部・長野・内海等主力の高齢化もさることながら、何より“核”となるプレーヤーの不在が大きな理由でもあります。
こうした状況下、球団首脳および総帥:渡邉恒雄氏は松井さんを新たな監督に据えて人気低迷とチーム弱体化に歯止めをかけようと必死に工作を続けましたが、望み敵わずな現状です。
高橋監督ではどうにもこうにも地味過ぎるのと覇気のないチームカラーから脱却できない今、“松井監督就任”は球界の盟主復活の狼煙をあげるに相応しい改革となるはずでした。
が!どうしても首を縦に振らせることはできませんできず、またしても永遠の若大将!?原監督3度目の登板に落ちついたというわけです。
人材流失の危機!?
日本球界は人材の流失が止まらない!と言われて久しいですが、果して本当にそんな危機!?なのでしょうか。
せっかく育って活躍してきたと思ったらFAやポスティングでメジャーリーグにかっさわれる?だから行かないよう(自チームに残るよう)説得と多額の年棒を支払う!
そのやり方と考え方には大いに疑問を持ちます。だって本当のメジャーリーガーになれる(入団して活躍できる)のはMLBに行こうとする中のほんのわずかです。
多くはそのほとんどをマイナーで過ごし、またはトップにあがってもスポット的に使われた挙句自由契約になるのが関の山、だから出戻りが増えてくる。
それに誰かが抜ければ鵜の目鷹の目でそのポジションを虎視眈々と狙う奴らが出てくるはずで、そうしたハングリーな人材の入れ替わる環境と活性化がリーグに活気をもたらすのです。
人材流失等と騒ぐ輩に限ってみずからの懐と器の小ささを露呈しているようなもので、良い方向に目を向けることのできないサラリーマン的思考としかいいようがありません。
松井選手が抜けてその穴を埋めるスターが育たないのは球団の体質にあるわけで、育てようとする気概があれば日ハムや広島のようにスターはタケノコの如くでてくるわけです。
育成に目をむけずFAで中途半端な選手ばかりをとり続けたことが、チーム弱体化の元凶ということがわかっていない!またわかっていてもナベツネに忖度してその改革を断行できない!
これでは誰を監督に据えようとも勝つことは難しいでしょう。たとえ松井さんが監督になったとしてもね。
NPBを経ず直接メジャーと契約したものは、その後日本のいかなるプロチームとも2年間(高校生は3年間)は契約できない!
だからこんな「田沢ルール」なるもので選手が直接メジャーと契約しないよう、とんちんかんなルールまで作って引きとめようとするわけです。
チンケな人間のやることに底はないということかもしれませんね。
世界を変える稀有な存在

日本人の誰もが憧れるヒーロー!?
そんな状況の時代だったものの、松井選手(当時)はFA資格を得てみずから決断を下しました。
あまり選手の人物像をコメントしないTM鈴木ですが、松井さんに関しては一言だけ発したいことがあります。
彼の人間性その計り知れない魅力と人並み外れた精神力の強さはおそらく日本の常識的社会ではおさまりきらなかったということでしょう。
決意がメジャーリーガーをを育んだ!?
メディアでは松井さんが巨人軍監督就任を固辞する理由について「読売グループやナベツネとの確執」等とはやし立てていますが、彼は日本の妙な常識の範疇におさまる程チンケな人間ではない!というのが本音です。
確かに松井さんが巨人をFAで退団するまで、執拗な引き留め工作として莫大な年棒と複数年契約、さらには将来の監督手形まで約束する等といった青天井な話もありました。
そのオファーを蹴った松井さんに対する球団上層部の苦虫を噛み潰す程の心境は想像に難くなく、特に総帥:渡邉恒雄氏のプライドと巨人軍というチームの歴史と伝統は大きく傷ついた!と球団や関係者は思ったかもしれません。
事の重大さを察した松井さんは当時メジャーリーグ挑戦表明会見で以下のようにコメントしています。
「裏切り者」「命を賭ける!」彼のそれまでの活躍なら堂々とそして拍手で送り出されてもおかしくないものを、松井さんは当時自らの心情をそう捉えていたのです。
おそらく何があろうとも今後日本球界には戻らない!という彼にとっての決意表明だったのかもしれません!松井選手(当時)の並々ならぬ決心が伺われる一面だと感じます。
球団首脳は松井さん本人の流失以上に、親会社読売グループ総帥への顔向け、ご機嫌伺いができないことを、そしてグループトップはメンツを潰され顔に泥を塗られた!ことを、マスコミは両者の「確執」と捉えました。
松井さん自身、ジャイアンツには大変お世話になって大好きでこれからも応援するという気持ちはあったでしょうが、MLB挑戦のためその想いも敢えて封印する必要があったのです。
しかしそうした彼の心のモヤモヤは、メジャーの舞台に挑戦し戦っているうちに自然に消えていったように感じました。
NYファン・大国アメリカの包容力
メジャーリーグそしてニューヨークは日本からきた“ゴジラ(GODZILLA)を温かく迎え入れてくれたのです。
トロント(カナダ)で行われた開幕戦、メジャーでの初打席・初安打・初打点記録以上に、本拠地開幕戦で放ったメジャー初となる満塁本塁打は、最高にワクワクでNYファンへの「ゴジラ襲来!」を印象付けました。
もちろん彼がゴロキングと揶揄されるほどのスランプに陥った時には容赦ないブーイング(Booooo!罵声)も浴びせられましたが、そこは誇り高きNYの象徴であるチームのファンならではの“温かさ!?”なのかもしれません。
マツイさん!我々はあなたをNYヤンキーのファンとして見守るよ!結果を出さない時のブーイングや叱咤激励もあなたが我がチームに貢献してくれるための愛情の裏返しなんだよ!とね。
徐々に大都市ニューヨークの雰囲気に慣れていったゴジラはその後本領を発揮し始め、しばらくするとチームの中心的存在になっていきます。
メジャーリーガーとして日々メディアやファンへの対応、カットボール・ツーシーム等小さく動くボールへの技術的対処、ホームランバッターとしての誇りを捨て中距離打者への変換等、チームに対する貢献はクリアすべきコミュニケーション課題も含め、無償の努力を陰日向なく実践した結果でした。
松井さんはこうしてNYのファンにゴジラの印象を植え付けていったのでした。
歓声もブーイングも全力プレーの原動力となり、そこに彼の人間的魅力が伝わることでプレーの質・チーム力・ファンとの絆がより一層深まることになったわけです。
こうした効果は残念ながらジャイアンツ時代には見られなかった現象かもしれません!それ程NYファンにとってのヤンキースは「わが町の象徴」として際だっていたということでしょう。
初の窮地!でも心と絆は強固に!
2006年5月11日本拠地に宿敵ボストンを迎えた伝統の一戦、相手バッターが打った浅めのフライを獲ろうと前進した際、グラブが芝生にひっかかり手首骨折の重傷を負いました。
その後手術、結果として4ヶ月もの長きにわたり欠場、その間“核”の1人であった松井のいないチームは彼の不在を団結力で補いなんとか沈没を防いでいました。
そんな状況のチームに松井さんは「チームに迷惑をかけて申し訳ない!」というメッセージを送ります!
後にも先にもケガをして試合に出れずにごめんなさい!等とチームや関係者に謝る人なんて彼をおいて他にはいないでしょう。
それだけ松井さんは責任と誇りを持って試合に向き合っていたということで、このメッセージがチームとの絆を強固にしたことは言うまでもありません。
松井さんには自分が置かれた状況を否定するのではなく、それも当然あること!として素直に受け入れ、現状で最高の力を発揮するために努力し続けるという才があるのです。
ごくごく当たり前のことだけど文句ひとつ言わず、今!己のすべきことをやり続ける!
簡単なようで実は誰もができることではなく、正にそれが彼の類まれなる能力のひとつといっていいでしょう。
遂に見つけた!新しい居場所

宿敵ペドロを攻略!
突然のアクシデントに見舞われ長期間のリハビリから復帰、しかしその後も両膝の痛みで一進一退の状況が続いた松井さんですが、女神は彼に微笑んでくれました!
プライベートの女神は彼に生涯の伴侶をもたらしてくれたのです。2008年3月に結婚、人生に加わった新たな門出を機に松井さんの力は倍加しプレーの質も一層高まっていったのです。
日本人初の栄光そして挫折
そして2009年、自身2度目のワールドシリーズ進出で指名打者ながらナ・リーグ覇者のフィラデルフィア・フィリーズを下し初の世界一、そして日本人初のシリーズMVPに輝きました。
MLB挑戦からなんシーズンにもわたりいいようにやられていたペドロ・マルチネスを攻略!
2発を含む複数安打、シリーズ計8安打3本塁打8打点という文句のつけようがない活躍でした。
ワールドシリーズでのMVPは本当に凄いことなのですが、彼の真価が問われるのは実はその後に起こった様々な出来事への対応なのかもしれません。
ヤンキースはシーズン終了後松井さんと再契約は結ばず、彼は結果的にFAでLAエンジェルスへ移籍、その後3年間はアスレチックス・レイズと渡り歩き成績も鳴かず飛ばずとなった結果、2012年12月に現役を引退しました。
引退会見では一番の思い出として「長嶋監督と二人で素振りした時間」を挙げたのは、彼の人柄を物語っていますね。
以上のことを踏まえなぜ松井さんが巨人軍の監督を引き受けないのか!の真意を勝手にさぐりました。松井さんごめんなさい(-_-)
メジャー移籍時の球団首脳との確執を監督拒絶の理由と、メディアはことの他取り上げていていますし、命を賭けるとまで言い切ったMLB挑戦を重く見る向きもあります。
しかし本当の理由(わけ)はもっと単純!
巨人の監督を引き受けない真意

指導者としてさらに磨きを!
現在2人の子供と奥様と一緒にNYで暮らす松井さん、引退後はヤンキースのGM特別アドバイザーの役職で傘下のマイナーチームを巡回指導する毎日だそうです。
ただただNYという街が好き!そこで家族と過ごすことが好き!マイナーで未完成の後輩達を観る(指導する)ことが好き!というのが本心なんだと思います。
このビックリーグを育んだ街の大いなる魅力に取りつかれ、大国アメリカに抱かれ、そして世界一厳しいNYのファンに愛されたことで、彼の命を賭けた挑戦という心境が、いつしかNYでの日々そのものが自身のライフワークと悟ったのではないでしょうか!
「肩の力を抜いてもっと人生を楽しもうぜ!マッツイさん!」という“声”に気づき、自分を見つめ、日々家族と過ごせるこの安住の地で彼自身、実は躍動しているのだと思います。
大好きなことが目の前にあるのだから他のことは考えることもない!正に自分の脳裏にないのだからそんな煩わしい!?ことを考える必要もないしそんな暇もない!
これが彼の偽らざる心境ではないでしょうか。
そんなNYに愛し愛された松井さんの心境を物語るエピソードがあります。

自然にチームメイトが集まってくる人柄
2010年4月13日、エンゼルスの一員として古巣ヤンキースタジアムでの試合を迎えた松井さんは、プレイボール直前のチャンピオンリング贈呈式にのぞみました。
ジラルディ監督からリングを送られ割れんばかりの拍手と歓声の中、脱帽し手を挙げて応えた松井さんに突如チームメイト・スタッフ全員が駆け寄ったのでした!
ピンストライプの軍団の中に一人だけグレーと赤をまとった(元)チームメイト、この時の姿が現在の彼のライフワークを形作ったのではないかと思いました。
「NYは自分の故郷なのだ!」とね。
これからもずっとニューヨーカー

終わりは始まり!引退記念試合にて
松井さんはこれからも外国人でありながら真のニューヨーカーとして“地元”で活動していくことでしょう。
だから恩師である長嶋茂雄氏たっての願いでも、寵愛するジャイアンツが低迷していてもおそらく巨人軍の監督には今後も就かないでしょう。
比較の問題ではなく!
それよりももっと大切なものがある!それよりワクワクしてドキドキする毎日がここニューヨークにはある!だからその雰囲気を自分の中でたくさん感じ続けたい!
地方出身の田舎者(失礼、決して田舎をバカにしているわけではありません)なのに誰よりも真のニューヨーカー、そんな松井さんを私・TM鈴木は大好きだし、今もファンとして応援し続けています!
類まれなる人柄とその生き方・人間的魅力に満ち溢れた元メジャーリーガー:Mr.Matsuiを育んだNY、そこには世界一の都市として繁栄する街の歴史があるのです。
契約の国アメリカ!
メジャーリーグ球団は選手と契約によってそのプレー条項を結ぶ一方、実は松井さんのようにチームメイト・ファンと真の心のつながりを非常に重んじ、双方を温かく見守る広い心を持っているのです。
だからこそスポーツ文化が着実に根付く環境がアメリカにはあるわけで、一見人情を重んじる日本とはその奥深さや質に大きな隔たりと違いがあると感じます。
日本野球にファン・選手・球団・リーグが一体となった本当のスポーツ文化が根付かないのは、そうした深いつながりを持てる選手とチームの存在がないからなのかもしれません。
最近でこそメジャーに挑戦する選手は増えてきました!
でも本物のメジャーリーガーと呼べるのは松井さんとイチロー選手(マリナーズ)をおいて他にはいないし、真のニューヨーカーは松井さんただひとりです!
そんな彼がこれからもその人間性に磨きをかけ、NYのファンに愛され、1人でも多くの紳士的でプレーに命を張るNYヤンキー(選手のことね)を育成することを願うばかりです!(^^)!
最後に松井さんの人柄を語る上で最も重要な人物のコメントで終わるとしましょう。
まとめ:

NYと共に!ヤンキースファンと共に!
長らく“新”巨人の4番として活躍した松井秀喜さんがなぜ古巣の監督要請を拒み続けるのか!その理由を私見を元に探ってみました。
ジャイアンツ球団首脳や総帥ナベツネとの確執が大きな理由というマスコミの主張は誤解であり、本心はNYという街・ヤンキース・そして地元のファンが大好きで、この街が自身にとっての安住の地となったから!
日本からやってきたひとりの野球人をこれだけ愛してくれたニューヨークと、そこに住む人達の素晴らしさに触れられたのは、松井秀喜という人の存在なくしてあり得なかったはずです。
そんなベースボールの申し子:松井秀喜さんだからこそ我々日本人も彼を心から尊敬し愛しているのだと、最近の彼を見るにつけ深く想うところです!(^^)!
TM鈴木