3/1(木)に行われた“因縁”のWBCバンタム級タイトルマッチ、王座を剥奪された前王者ルイス・ネリへの批判が未だ止まらない!
体重超過でルール上は勝っても防衛とはならず試合に臨み、2回で元王者の山中慎介を簡単に!?葬り去った。
多くの専門家諸氏が今回のタイトルマッチでルイスに非があることを論じているが、TM鈴木の見解ははちょっと違うのである。
同国人贔屓もいいがボクシングにおける厳格な体重制限のルールとは別の、もう一つの視点について論じてみよう!
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ネリが全てわるいのか?

予想だにしない結末が・・・
規定の体重に仕上げてこなかったネリの責任は確かに大きいし重い、しかしTM鈴木が論じるべきポイントはそこではない!
なぜならネリは試合を興業する立場にはなく、対戦相手と戦う“ボクサー”でしかないからだ。
責任は別の形で負えば済む
バンタム級リミットで望まなかった(望めなかった)という意味でネリは批判されてしかるべきある。
しかしその批判とペナルティはネリ自身が負えば良いことで、タイトルマッチを主催する側と合わせた責任論を展開するメディアや専門家諸氏の意見はどう考えてもおかしい。
格闘家:青木真也の言葉を借りるなら、嫌なら試合をしなければいいだけの話、それができないなら甘んじて試合(結果)を受け入れるしかないのである。
タイトルマッチ後、WBCはネリのファイトマネー没収と当該団体が関わる試合への無期限出場停止を発表した。
ネリはしかるべきペナルティを受けたのであり、それ以上どうのこうの言われる筋合いはないのではないか。
あくまで私見だが不世出の名ボクサー“神の左”を持つ山中慎介の、まあ言ってみれば【引退興行】でこんな汚点をつけてくれるなよ!という国民感情が、ネリ反感に大きく作用したのではないか。
すり替えられた課題

http://urx.red/ISFP「体重超過によりアドバンテージはあったのか」
この国の人達はとかくスポーツの事象を美化し褒め称えることが好きである。
12回も連続防衛し具志堅用高の持つ13度にあとひとつと迫った山中の花道、有終の美を飾れる演出を整えたが現実はそううまくいかなかった!ということだろう。
そこに納得がいかない!だから体重超過を犯したメキシコの「練り(ネリ)もの野郎」に集中砲火を浴びせることで、山中の花道を飾れなかった鬱憤を晴らそうとしたのではないか・・・。
問題の本質はネリ個人への批判や誹謗中傷ではなく、体重超過に際し厳密なルールを定めておかなかったWBCや主催者側の責任と捉えるべきだと個人的には考える。
テレビ放映権の問題があり、元々3/1(木)で組まれた放送スケジュールを変えることはできない!と考えると最も合点がいくはずだ。
ピョンチャンオリンピックを引き合いに出すまでもなく、選手のコンディション第一(最近よく言われるアスリートファースト!?)は、昨今のスポーツイベントにはあり得ない話である。
どっちが強いか!それがイチバン

当たり前の話だが勝ったほうが強い!
日本国民というより、ボクシング通やコアなファン、そして今回の事件も含めスポーツに興味を示す人達は、「こんな問題がなければ・・・」という「たられば」を再燃したいのだろうか。
勝敗の行方、実力的にはネリ!
結果をそのまま受け入れるなら実力差は明白だろう!ネリは山中より強かった!だからKO決着だったのである。
前述の格闘家:青木真也のメッセージは闘うものとしての正当性を持つだろう。
「外人ボクサーが叩かれてるけど勝ったヤツが正しい」「認めてリングに上がったら条件は一緒。嫌ならば戦わなければいい」
「Jcast ニュース」
“神の左”等という言葉は元々メディア受けするためにマスコミが勝手に称したものだが、その必殺武器を持つから誰にでも勝てるかと言えばそんなことはありえない!
しかも山中はネリに対して明らかに苦手意識があった!思えば前回の防衛戦でもその苦手が表面に出てしまいKO負けを食らっている。
「トレーナーのタオル投入が早すぎた」とメディアが散々報道し専門家も「タオル投入がなければ・・・」といった論調ですり替えた感満載ではあったが、実力差はそんな事件を抜きにしても明らかだった。
山中の実力は世界でもトップレベル・・・、だった!それはファン・関係者の誰もが認めるところであるが、それはもう過去の話。
いつだって時代は移り変わり、そしてその波にベテランとて流されてしまってもおかしくはないのだ。
時代の変遷を甘んじて受け入れる
WBAスーパーフェザー級王座を11度連続防衛し、12度目の防衛戦で1位のジェスレル・コラレスに敗れ、リマッチでも勝てずに引退している内山高志の例を出すまでもない。
どんなスーパーな選手であれ苦手な相手は必ずいるもの、世界には己の武器を封じてくる猛者がいて、歯が立たなかったというだけのことである。
ネリは山中の左を封じて!というより、あのちょっと無駄にも思えるような大胆な動きと大きな振りのパンチ軌道が功を奏したのかもしれない!
山中の左はオーソドックスでいわゆる上手くて技術力の高い選手、そしてハードパンチャーには確かに無類の強さを発揮したが、ネリのような技巧はなく何も考えないような“意外性”をもつ相手には簡単にやられるという可能性を秘めていたのだ。
山中が嫌いだからとか、ネリが好きだからとかいう類の話ではない!実際、山中の左ブローには憧れさえ感じていたのだから。
山中の終焉、そして誰かが追従

次代を担うのは誰だ!
選手としての現役期間が短いからこそすぐに時代は変わっていく!それを誰もが素直に受け入れることは中々難しいかもしれないが、それでも変遷は続く、それが世の流れというもの。
山中の牙城を崩したネリ、今度はネリの壁を誰かが乗り越えるかもしれない、願わくばそれが日本人選手であってほしい・・・、等と考えることはここ、島国日本に住む人々の総意ではない!
綺麗に終わらなかったからこそ自分にとっても記憶に残るし、それが糧となって別の機会を巡る人生になるかもしれない。
ボクサーという仕事を引退する(した)今の山中だからこそ、いつかその“本意ならざる気持ち”を受け入れる時がくることを願ってやまない。
誰しも完璧な人生などあり得ない!だからこそその次がワクワク・ドキドキするのである!
あまりに綺麗な結末を生んでしまっては、その後の未来はどうなることやら!人間とはそういうものではないか。
いい加減、ネリ批判の旗を降しネクストヒーローの戦いに期待し楽しみに待とうではないか!
そして厳格なルールと処罰を今一度選手に理解させ、主催者都合やメディアの力技で試合を行うといった今回の愚行にメスを入れるべきであろう!
まとめ:

hope to see next age
先日行われたWBC世界バンタム級タイトルマッチ、KO勝ちしたルイス・ネリ個人へのメディア・専門家諸氏による批判について異議を感じる。
ネリのリミット超過による責任は非難されペナルティが当然ではあるが、それ以上でも以下でもない。
問題の本質はルールが守られぬ中(もしくは規定がないにも関わらず)、試合を開催するに至った主催者と認定団体(WBC)の曖昧な決断にある。
元王者山中の実力は誰もが認めるところだが、どんな状況にせよ試合をして負けていることを考えれば、「たら・れば」に枝葉をつけて論じることの意味はない。
TM鈴木

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