今問われる!?日本人のメンタリティ:サラリーワーカー的思考に迫る!何があろうとゆずれない:それが目標達成の原動力!

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サッカー日本代表はワールドカップロシア®大会において世界ランク3位:ベルギーの前に敗退、やはり3度目も決勝トーナメント1回戦の壁は越えられなかった。

しかしそれ以上の注目は決勝トーナメントをかけた予選リーグ、対ポーランド戦である。

なにしろ0-1と敗戦濃厚な後半残り11分間にたんなるパス回しだけ。これを勝負に徹した!と評する者もいれば、勝ちを取りにいかず待つなんて・・・!と批する者もあり、正に喧々諤々。

敗戦後はメディアを含めそこかしこで勝てない理由があら捜しされているが、そんな理由がわかれば負けることはなかっただろう。

しかし消化不良のあの試合についての落としどころ、それは日本人のメンタリティに起因するのかもしれない。そこでこのモヤモヤ感に対する自分なりの想いを綴ってみた。

注)当稿は組織や個人を責めたり非難する内容は含まれておりません!あくまでシステムの現状を個人的視点から述べたものです
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日本人的思考

勝てない要因は日本人的メンタリティ?

あくまで個人的意見として日本が敗退し、グループリーグ最終戦で無駄なパス回しに終始した要因をあげるなら、サラリーマンという労働力を“養成する!?”義務教育と会社・組織に属さなければ生きていけないとする日本人のメンタリティにあると考えている。

海外で何年も生活し、組織やグループとは無縁の生活を送ってきたことで、それまで常識とされてきた習慣や行為等に疑問を持つことが少なくない。

代表は日本社会の縮図

その是非よりも大切なこと

「個を重視した組織サッカーを展開する」

サッカー界、特にチームを率いる監督が発するメッセ―ジとしては典型かもしれない!とにかく誰それがそこかしこで話すのをよく耳にする。

日本人はどんなスポーツであろうがまとまることを重んじる。会社・組織ももちろん、ご多分に漏れずまとまることを好む傾向が強いだろう。

まとまっていなければ結果がでない!まとまらなければ勝利がない!みんなが同じ方向をむかないと利益が上がらない!

確かにそうかもしれない!しかしまとまるとは結果的にそうなる話であり、誰かが;例えばリーダーが無理矢理そっちの方向にもっていく必要は全くないのである。

まとまりにかける要素、例えばとび抜けた者や突拍子もないことをするやつはまわりから変人扱いされ、のけ者にされるか排除されるかしかない。それが今でも日本の現実であろう。

まとまり重視で面白いのか?

代表は確かにまとまってはいた!チーム全員がグループリーグを突破し8年振りの決勝トーナメントに進出しようと頑張ってはいた!

しかしそれは今迄の日本人のメンタリティーとなんら変わることはない!みんなが同じ方向を向いて同じ目標を達成するという名の元に。

はっきりいってつまらない!そんなアスリートなら掃いて捨てる程いる!そんな選手なら観る価値はない!

確かに現場は様々なプレッシャーを受けながら決勝トーナメント進出という結果を出した!その結果に対して何も文句をいうつもりはない。

ただ、つまらない!それだけだ。

アスリートの本質とは?

自分を表現しているからこその滲み出る魅力!

確かに組織においてチームプレイは大切だ!しかしそこには個を消してまで組織に従順になる必要は全くないのである!

そんなことをすれば自分を表現することなどできやしない!

自分を表現すること

アスリートにとって、いや人間として生まれてきて自分を表現しないで終わること程、悲しく無駄なことはない!

失敗したって結果がどうなったって構わない!

とにかく自分の色を前面に出す!自分を表現しないで終わってしまうワールドカップ程寂しいものはない!真のアスリートならね。

LAエンジェルスの大谷翔平がなぜあれ程人々の賞賛を集めるのか?彼のルックスや身体つきや160km/hを超える超絶ストレートももちろん魅力のひとつだが、決してそれだけじゃない!

結果がどうであれ「僕は投げたいし打ちたいんだ!」という二刀流を早くから宣言し、それに向かって突き進んでいるからだ。

かたや日本代表はどうだろうか?自分の色を出しているようには到底見えない!彼らはチーム(組織)の一部として高い機能性を有しているがそれだけだ!

そんな選手、果して観ていて面白いだろうか?

真のストライカーとは

TM鈴木は今だって日本でストライカーといえば釜本しかいないと思っている!(←古過ぎ!と言われようがなんだろうが彼しかでてこないから仕方がないのである)

釜本には「俺がなんとかしたる!」というオーラがあった!

フロントラインに陣取りボールを受けて5人6人の敵に取り囲まれてもボールをキープし、味方にさえパスを出さずとにかくゴールめがけて蹴り込んだ!

「動かない!」いや!無駄な動作はしないということである。

無駄に動かないから体力を消耗しない!だからいざというときに目利きができる!

目利きとは状況・場面を読む力である。状況判断能力とも言えよう。

その瞬間に最高のパフォーマンスを発揮するためには無駄に動かないことが大切だ。野生動物が狩りをするとき無駄に動かないのと一緒である。

だから最高の瞬間を読むことができる!その瞬間、蹴り足一閃で相手を叩けるのである!

一閃とは強くおもいきり叩くことではない!その状況で最もゴールできる確率の高いシュートを放つという意味である。

今そんなやつがいるだろうか!いや!チームのシステムがそうなってないから!とか、戦術的にそんな古いのは使えないとかいうかもしれない。

でも実際にそのくらいの気迫がなければ世界を相手に勝てるものではない!

学校教育の弊害

学校教育になんら疑問を持たないことの弊害

代表の悪口を言っているのではない!彼らは従順に自分の仕事をこなしたまでだ。問題があるとすればそれは日本の教育システムで育つメンタリティではないだろうか。

自分がその中で育ってきてはいるがいつのころからだろうか、なぜか納得しない状況をよく見かけることになってしまった。

並列に並べることの是非

世界一を目指すなら常識的なことを考えているうちは勝てないことに気づかなければならない!

しかしそれがわかるやつはおそらく今のサッカー界にはいないだろう。

「点がとれない日本」「得点力不足」とは今に始まったことではない!その要因を精神性の問題と片付けるのは簡単だが、それはどうかと思う。

全てが揃う英才教育、そして義務教育という名の元に“サラリーマンを養成する組織で育ったサラリーワーカー(サッカー選手)、中にはかつて出ていた杭もあっただろうが、数年経過の後、同じ高さの杭となってしまった選手は数しれず。

日本が足りなかったのは、個人技だと思う。シュートの数が圧倒的に少ない。リスクを負えないメンタルの弱さだと思う。日本の教育がそうさせてる。

ある人の言葉だが、これは言い得て妙である。

同じ精神性を形作り協調をことさら重要視する日本の教育制度に対して大いに疑問の残るところである。

個人の責任は回避できる構造

責任は個人には及ばないが・・・

日本は代表を含め組織やチームを尊重する。何度も言うがそれがわるいことだとは思わない!

例えば会社という組織もそうである!グループに属していればある程度の生き方は保障される。だからこそ安心して自分の生活を謳歌できるのである。

サッカー協会もそうだろう!会長を中心に彼のサポート役がいて理事会等の民主主義的な場でなんでも物事を決めていく。

そこには会社組織となんら変わりのない上意下達の指令伝達構造が蔓延っている。彼らもサラリーマン養成機関を卒業したいわば同窓なのである。

組織の構造上、個人に責任が及ぶことはよっぽどのことがない限り起こらない。前監督を解任したのは会長ではなく理事会であり、トップは記者会見で表向きは真摯に記者の質問に対応しながら(裏では)のらりくらりとかわしていればそれで済むのである。

全責任は私がとる!という腹の座ったやつは存在しない。

個人で生きにくい社会

個人で生き抜くには窮屈な社会

他方、ひとりで生きるとなるとそうはいかない!

例えば昨今大きな問題となっている税金問題である。この制度、個人事業主にとってはやたらと重くのしかかる!

国保や住民税に年金・保険、その他諸々、この国で生きていこうとすればそれらを支払い続けなくてはならない。それが日本国民である責任でもあるのだが。

例えば社保なら会社が半分負担してくれるが、国保はたとえ年収100万円代でも3割近くを負担するというとんでもない比率をかけてくるのである。

まさに脅迫観念を形成しルールを守らせる統治国家日本ここにあり!である。

生き方は決められたもの?

サラリーマン的思考

会社という組織に入れば会社が(色々な意味で)守ってくれますよ~!だから就職してサラリーマンになりなさい(やさ~しく声をかけてくれる)。

でも会社に属さなければとてつもなくおも~い負担が課せられるんですよ~!ほ~らね、サラリーマンとそうでない人、どちらを選びますかぁ?と言われているようにも聞こえます。

選ぶのはあなた!でもサラリーマンを養成するための教育システムを過ごしてきた身にとってどちらを選択するのかは火を見るより明らかであろう。

教育の根底にあるもの

従順さは是か非か!

日本では小さい頃から組織を重視した生活を送らざるを得ない環境なのである。

同じ服を着て、同じ時間に登校し、同じ行動をさせられ、理不尽とも思える校則も強要される!それが日本の教育システムの実態である。

協調性、つまりみんなと同じことをしなさい!とある種洗脳されている。でもちょっと考えればわかるはずだ!みんなと同じことをしていたらみんなと同じレベルでしかない!

みんなより高みにいくためにはみんなと違うことをしなきゃならないのに、同じことをさせている学校教育に疑問を持たないことってだんなんだろう?

保育園・幼稚園から始まる共働生活、さらにその後に続く義務教育は、使いやすく「はい!」と素直にいう事をきく“労働者”を生産する育成機関だと揶揄されてもおかしくはない。

ホリエモンのこの指摘を間違いだとはいえないだろう。

学校生活でサラリーマン育成にのっかてしまう子供達、何が何だかわからずに先生からサラリーマン養成学!?を叩きこまれ、やがて(大)学(生)生活が終わるころには就職活動をしてサラリーマンという“石橋を叩いて渡る”職業につくのである。

彼らははやくから人生の目標を立てるが就職するしか生活する道はないと錯覚してしまうのである。

根底にあるこの国の精神性

英才教育は常識!?

昨今流行りのお稽古事やスポーツ等も状況は似たり寄ったり。

指導者の指示に反論する間もなく動かされるのは少年野球や少年サッカーもまったく同じだし、協調性を強いられるのはスイミングや体操等、民間のスポーツクラブとて変わらない。

日本代表は違うだろ!いや、実際のところ根本は同じである。

彼らとてサラリーワーカーに違いはない!程度の差こそあれ年棒を月割りで球団からもらっているのである。

彼らはいわば有能な国家公務員なのかもしれない。プロと言われる彼らとて真のプロフェッショナルは果して何人いるだろうか?

若いうちから英才教育を施されてきた彼らには、組織として機能するよう育成されているため、指導者に歯向かう余地等の入る隙間がないのである。

だから西野監督の指示を忠実に守ることしか彼らの頭の中にはなかったのだ!

それが選手としての価値だと錯覚しているのは、将来サラリーマンしかないと叩き込まれた学生とどこか似通っている。

日本の教育システムは正に「出る杭は打たれる、そして他の杭と同じ高さになる」これが現状であろう。

未来を見続ける視点

ボール回しの是非より必要なことは?

西野監督も選手達も、そして代表チームとしても、あの問題に対しなんら責められるべきものではない!

日本は目先の利益を優先したのだ!という意見も確かにある。

従順が日本を育てた!?

だが目先の利益を優先せざるを得ない状況にしたのはだれあろう我が日本そのものであり、そのシステムをある種扇動するマスコミも五十歩百歩に違いない。

覚悟が足りなかった!

負けてもみずからの意志を押し通す潔さがなかった!

色々意見はあるだろう。

現場には現場の考え方があるのだから、それをとやかくいう筋合いを部外者は持ち合わせないはずだ。

それに組織として働くことを強要され、出ていた杭を打たれてしまったサラリーワーカー達に抜きんでた杭でいろ!といっても無理な話なのである。

つまり彼らにはあの11分間におよぶボール回ししか選択の余地はなかったのだ。

だから西野監督にも選手達にも責任はない!

あえて責任というなら労働者養成を目的として作り上げてきた日本の学校教育システム、しいては日本のそうした教育システムの中で育まれてきた日本人的メンタリティだろう。

きみならどうする?得点力不足

日本がワールドカップで優勝するためには「得点力」を高めなくてはならない!

ならば得点力不足解消にはどうすればよいのか?やはり釜本が必要なのか?

釜本がストライカーとしてふさわしいとは言ったが、彼を代表に招集する必要はない!(←そんなの当たり前だ!と言われるかもしれないが)

だが得点力不足解消に対する回答は敢えて言わない!そんなことは考えたい者が考えればいいことである。

だがひとつだけヒントを与えよう!

それはシュートする瞬間がスローモーションになるようにすることだ!

スローモーションとしてその状況が見えれば(映し出されれば)相手の動きや読みをこちらが先んじて見出すことができる。

その絶対的な時間感覚は変えられないが、相対的な時間軸は本人の取り組み方次第でいくらでもコントロール可能なのだ!

シュートを打つその瞬間、自分の感覚で視界に入ってくるすべての動きがスローモーションになれば、相手との距離・間合い・出る方向や角度等の情報がしっかりと入ってくるだろう。

それでも外してしまうなら俺にはストライカーとしての才能がない!ときれいさっぱり諦められるはずである。

世界一を獲るには?

おいおい!そんな非常識な話・・・と考えてしまうあなた

そう思ってしまうあなたこそ、サラリーマン養成所!?を卒業しサラリーワーカー生活に疑問を抱かない日本人の典型的なメンタリティを持っている証拠かもしれない。

代表が世界一になるにはグループリーグ最終戦の11分間にボールまわしをしないことだ!

おいおいっ、お前は何をいってるんだ?

と思うかもしれない。しかしそれこそが日本が世界一に向けて踏み出す道標の第一歩なのである。

あの11分間のボールまわしに日本人のメンタリティが集約されている。

サラリーワーカー的思考を捨て去れないのなら世界一になることなんて到底無理だろう!

だからサラリーワーカー的メンタリティを持つ今の選手達では世界一は望めないのである。

この現状に気づく人、常識に疑問を持つ人がリーダーとなりサッカー界を扇動していってこそ、結果がついてくる。

少なくとも非常識な状況・事象に目が行く私、TM鈴木はそう考えている。

まとめ:

常識だけがルール?

サッカー日本代表がワールドカップ・ロシア大会®で勝てなかったのは、グループリーグ最終戦の対ポーランド戦、0-1でリードされた残り11分間のボールまわしにある。

そうした状況でそうした行動しかできない日本人のメンタリティは“サラリーマン”代表が育まれる日本の教育システムこそが根本的な原因。

日本の教育システムをおかしい、なんか違う!という疑問を持つ人達が増え、その人達がリーダーとして新たなメンタリティの構築をしない限り、ワールドカップ優勝など夢のまた夢。

みずからを大舞台で際立たせる人が増えて競いあってこそ、勝負の行方を左右する場面という決定機をコントロールすることができるのである。

TM鈴木

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