クライアントのAさんから「今回のブログみたよ!スイングの時の体重移動で “股関節にのる” 感覚を教えて?」という質問を受けました。
確かにまっとうな質問かもしれませんが、Tちょっとひっかかる点があるのです。
こういう質問をされる方は果して質問する前に「自分で “股関節にのる” 感覚を試しているのだろうか?」という疑問。
顧客にとってわからないことを聞くことは当然ですが、この状況でのこうした質問に答えることが正直クライアントの為になることなのだろうか?と疑問に思うこともあります。
こういったメッセージとも深くつながる考え方、なぜクライアントのためにならないのか?その理由をご紹介しましょう!
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大人の言い分

インパクト後に左股関節にのる感覚をつかめ!
大人と子供は根本的に!というか見た目、例えば体のサイズからして違います!
大人は色々な経験を積んでいるのでそこから得られる知見を元に、行動をとることがほとんどなんです。
わからないことがあっちゃいけない!?
今回質問してきたクライアントAさんのその行動に、ちょっとというか非常に疑問を呈してしまったのです。
「体重移動で股関節にのる感覚をつかむため、自分で何か試してみたことはありましたか?」と尋ねると、案の定「えっ!?だってわからんから質問してるのよ!」という答えが。
今回のAさんのような行動は別に良くないことではありませんし、質問すること自体を否定しているわけでもありません。
問題は自分でチャレンジして何かをつかもうとしないのでは?という大人特有の考え方にあるのです。
大人はわからないことは人に聞けばいい!と考えます。そしてこうも考えます「(そこに)答えがある(はずだ)!」と。
関連してわからないことがあっちゃいけない!という考え方もあるかもしれません。
しかし世の森羅万象すべてに答えがあるわけではありません!
(自分にとって)見つからないでおわることもあるにも関わらず、答えが(そこに)眠っているはずだ!と無理矢理にでも考えたり拘ったりするのです。
自分の中にある!?
Aさんは過去の経験に知らしめて、指導者から体幹の前傾や股関節の最も適した位置や角度を知ることで、自分の思い通りに体重が股関節にのるんじゃないか!と考えました。
そのこと自体は何もわるいことではありませんが、大切なことをしていません!
それは自分で試すことです!たとえ何千・何万回やることになったとしても、試すことで目的の答えを掴むことができるかもしれません!
また例え答えがみつからなくても、目的以外の(自分なりの)新たな発見があるかもしれません。
物事を多面的に観ていればできないことをすぐに質問したり、逆にいつまでも拘ったりすることもありません!
指導する側がこうしてください!と言ってできたものと、みずから発見したできることの価値は、それを実践するあなたにとって大きく違うはずです!
答えのあることしか学べない環境

常識の壁に捉われる!?
残念ながら世の中にはわからないことがたくさんあるのです!
社会にでればそれを失敗しながら学んでいく!つまり経験が大きな武器になりますが、その経験はみずから試す多くのチャレンジ(機会)によってもたらされるものです!
学校では教えてくれない○○
我々が学ぶ学校(義務教育)は高校・大学も含め、まっとうなことをしっかりと教えてくれます。
しかしそこにあるのはほとんどが答えのある物事ばかり・・・、結論をみんなが賛成多数になるようにもっていく構成がほとんどであり、少数派は時に否定されたりもします。
義務教育等は均一的な考えを持った “サラリーワーカー” をつくり出す「生産工場」とまで揶揄される始末です。
成長過程での学校で習った答えのある物事は、よっぽどのことがない限り大人になっても染みついたままで消えることはありません。
だからいつ頃から流行りだしたのか「想定内/想定外」等というわけの分からない言葉がもてはやされたりするわけです。
常識の範疇は何があろうと守るもの!?
熱中症になるよ!と言っているにも関わらずそれでも授業・校外学習や部活動をしたり、大会に出ようとする!
実はこれ、学校側にとっては常識の範疇であり、それをしないことのほうが「非常識」なわけで、だからこそ常識は変えられないし、行事はきちんとしないわけにはいかないのです。
これは頭が固いとか固くないとかいう話ではなく、答えがあることにしか反応しないように教員達も子供の頃から訓練されているからどうしようもないわけです。
だから親が我が子を守りたいのなら、学校の状況をとやかくいう前にそもそも学校(部活動・大会)を休ませればいいこと!なのです。
でも親も「学校には行かなくちゃ(行かせなきゃ)いけない!」という固定観念があるから、休ませるという考えがでてこない!
先生(学校側)に責任を押し付けていても何も解決することはありません。大企業と同じで大組織が結論を下す頃には、暑さはとっくに過ぎているのです!
質問より何より自分で試す!
核心に戻りましょう! ←やっとかい(^_^;)
「股関節にのる」感覚をつかみたいのなら、まずは自分で試してみることです!
何千・何万回と色々な動き、骨盤や股関節の角度を変えた多くのポーズも含め、色々と組み合わせて時間の限りチャレンジする!そうすることでしか自分で感じれる方法はありません!
質問して例えその答えに沿ってやったとしてもそれでわかった例はほとんどありません。
脳にも体にも汗をかきながら初めてつかめるものかもしれないし、そこまでしても掴めないものかもしれない!
なんでもかんでも答えがあるという幻想はある意味常識の範疇ですが、そうした「常識の壁」を超えられなければ、所詮ゴールに達することもそれを超えることもできません!
子供の思考を無限大に!
今、子供達も非常に危ない状況にあると考えることは決しておかしいことではありません。
何かに突出した人間や人格を育てるのではなく均一化した思考を育む、これは世のサラリーマンを増やすだけに他ならないわけですから。
子供は楽しければ・面白ければ同じ行動を疲れるまで何百回でも繰り返します!そのチャレンジは彼/彼女にとってかけがえのない価値を生み出すはずです。
効率性を考える大人なら絶対にやらない、聞いてしまえば済むことだから!でもそれでは自分で発見することがないし、その価値がわかるはずもありません!
できるかもしれないし/できないかもしれない!見つけられるかもしれないし/見つけられないかもしれない!
そうした傍からみたらある意味無駄なことを楽しめる心を持てるか否か!そしてその時間をみずから創り出すことができるかどうか!
それが「股関節にのる(しっかりと上半身を荷重する)」ことも、そしてその先にある競技力を高めることにもつながるのです。
まとめ:

常識だけがルール?
「股関節にのる」にはどうしたらいいのか?という質問に対する答えは一つしかありません!
「まずは自分でできるまで(わかるまで)、何千回でもチャレンジしてください」
決して突っぱねているのではなく、それが唯一自分でわかる方法だからです。
人に聞いてその答えでわかったというのは「わかった“つもり”」になっているだけであって、脳や体が理解したことにはなりません!
大人は効率性も重視し指導側に聞きますが、子供は面白ければ疲れ果てるまで続けます!
でも本来はそれが自分で物事を理解する唯一無二の方法なのです!
物事に必ずしも答えはありませんが、疲れ果てるまでやった結果何か視えたり掴んだりすることは必ずあるのですから!(^^)!
TM鈴木